2012.10.29
10月12~14日に東京で開催されたIMF・世界銀行年次総会と並行して、10~13日に「市民社会プログラム」が開催されました。
10月13日(土)には、動く→動かす×JANICの共催で、ポストMDGsに向けた国際シンポジウム「『極度の貧困と飢餓の解消』 から『包摂的経済』の実現へ=ポスト2015に向けた市民社会の提起=」を開催いたしました。
「新興国」中国・インドから貧困問題に取り組む活動家・研究者を招へいし、ポストMDGsに向けて、NGO・市民社会にとっての「包括的経済」(インクルーシブ・エコノミー)とは何かを考える機会となりました。
当日の概要は
こちら大橋正明(国際協力NGOセンター 理事長):
本シンポジウム開催の背景として、ミレニアム開発目標(MDGs)ゴール1はかなり成績のよい目標であるが、実感としては成功に乏しく、達成の大部分は中国の成長にあるのではないか、と思われる点が挙げられる。MDGsゴール1は具体策が非常に少なく、経済成長のみであった。貧困削減にはより意識的な対応策が求められる。本シンポジウムでは海外からのゲストも招き、そうした点について議論を深めたい。
稲場雅紀(動く→動かす 事務局長):
包括的経済成長とは何か。ポストMDGs議論の中で大きな議論となっている。気候変動の関係で多くの地域で干ばつや洪水が多発し、世の中が不確実になってきている。こうしたなか、不確実性に対する強靱性という文脈の中で、マジックワードとして誕生したのが「包括的成長(Inclusive Growth)」という言葉である。国際的な援助機関の中にひとつの妖怪がうごめいているようだ。まさに共産主義宣言のように。
しかし、その定義や「経済成長」との違いについては十分な議論がされていない。各方面の話に耳を傾けていると「これからは成長でいくが、包括的やグリーンを語頭に置くことでベールをかけている」と言っているようだ。私たち市民社会としては、より平和的で公正な社会を目指し、根本的原則として自然への尊敬や責任の共有、人間の尊厳の尊重をするという立場である。公正、平等を目指して、保健や教育を開発目標に入れてきた。こうした点について、アクセスのスケールアップには成功したが、経済的な平等の実現については具体的な政策がなかったために失敗しているという現状がある。また、格差が拡大され、史上最大になった。多くの人が経済に関する自己決定権から阻害されている。「包括的経済」に対して我々の経済的正義、人々の経済的自己決定をどう作り出すのか、私たちの戦略を作る必要がある。さもなければ煙幕としての「包括的経済」やグリーン成長などに負けてしまう。市民社会は現場レベルで包括的成長を生み出すことをすでにやってきている。しかし、政府関係者の開発の視点には協同組合はほとんど出てこない。協同組合は重要な役割を果たしており、その役割を再確認すべきである。
私たちは、途上国の人々の雇用創出、より良い社会保障の体制作りをやってきている。これを我々の中で理論化し、政府関係者や国際機関に向けて投げかける必要がある。包括的経済成長を私たちの側の言葉における「経済的正義」に転換していくチャンスではないか。我々の経験を戦略化し、MDGs達成期限以降の2016年に向けて打ち出して行く必要がある。このシンポジウムをきっかけに、アジアのイニシアティヴとして、このアジェンダを打ち出したい。今日はそのスタートとなれば幸いである。
大崎麻子(ジェンダー・アクション・ネットワーク アドボカシー担当):
マクロ経済政策の策定はジェンダーに配慮しない形で行なわれている。それは何故なのか。経済成長やインフレなどの文脈で政策が作られ、男性も女性もそこには出てこず、労働におけるジェンダー視点は基本的に無視されたものになっている。つまり、無償労働は無視されているということだ。無償労働を考慮しないことで、マクロ経済政策の効力がそがれたものになり、人々のニーズに応えるものにならないとの懸念がある。これから二つの話をしたい。ひとつは無償労働について。もうひとつはケア経済についてである。
無償労働はふたつの種類があり、SNA(Standard National Account: 標準的な国民所得)の範囲のものとそうでないものに分かれている。前者は農家が作物を育てる作業などに表され、後者は主婦が行う家事労働などである。無償労働はGDPにカウントされず、SNAから除外するよう奨励される。
ケア経済は子育て、人々の教育、健康などにたいするケア支援事業である。これらにはコミュニティの女性や少女が関わり、多くは賃金の支払いがなされないことがある。時にビジネスセクターにより行われることがあるが、これには賃金が支払われる。ビジネスセクターから賃金支払いや税金支払いなどのキャッシュフローが公共セクターに流れ、そこからまたキャッシュフローの流れがあることがわかる。もし私たちが包摂的経済成長という視点で話をするならば、全体的な俯瞰図を持って対話しなければならない。
また、生産経済だけでなく、ケア経済にも注意していただきたい。それはなぜか。ほとんどの無償労働は女性や女の子によって行われているからだ。以下の表は地域ごと・性別ごとに無償労働時間の平均を表したものである。
合計 男性 女性 女性/男性割合
イギリス 282 202 318 116
南アフリカ 154 80 220 140
インド 160 31 297 266
なお、日本の女性は家事労働に4時間費やしているのに対し、男性は30分である。こうした状況が、女性が政治などへの参画する時間を奪ってしまう。一方で、誰もが所得がなければ生き残れない。女性が有償労働に入っても雇用状況が悪く、貧困の女性化につながる。女性のニーズはマクロ経済政策に全く反映されておらず、経済指標に盛り込まれていない。ケア労働は人の福祉にとって非常に重要だが、低賃金で条件も悪い。ケア労働は農村から都市部へ移動してきた方々、もしくは女性が担っている場合が多い。
注目すべきは、貧困削減政策の策定などでケア労働や女性の貢献について。気候変動のファイナンシング・メカニズムにどのように組み込むか。その点についてもアドボカシーが重要であり、包摂的経済のためにはジェンダーの視点を組み込むことが重要である。
山本伸司(パルシステム生活協同組合連合会 理事長):
協同組合の組織は様々な形態があるが、パルシステムの特徴は農水産業との連帯、食べ物へのこだわり、食へのこだわりであり、これらがこれからの経済を考える上で非常に重要になる。富の偏在が経済を壊すという認識である。
パルシステムは全国で300以上の生産者と提携し、価格を安く叩くのではなく、持続可能な生産・消費関係を作り出している。東日本大震災にあたってもおそらく最大の被災地支援を行ったと自負している。資金、人的投入、被災地からの食料購入を通した支援などを行っている。
外国では民衆交易としてフィリピン・ネグロス島のバナナを購入などを行っている。現地の環境や人々の生活の破壊につながるのではなく、地元民の生活改善につながる取り組みである。他の生協と共同で、現地に輸入会社を設置した。
また、アジア民衆基金を設立した。これは、日本、韓国、フィリピン、パキスタン、インドネシアなどの参加を得て、それぞれの拠出で基金を設置する、というものである。各国のプロジェクトは、パキスタンでは小農村における地域内流通の確立、パレスチナではデーツ加工工場設立への融資など。単なる援助ではなく、相互学習による取り組みによる自立を促進する活動である。
パルシステムには130万人の組合員がおり、生産者を強力に支え合っている。消費者さえ良ければよいという風潮があるが、生産者の側面を持っていない人はおらず、価格の低下は経済を破壊する。生産流通がともに顔の見える関係を構築し、持続可能な社会を作る必要がある。恊働の力、相互に顔の見える社会の構築による新しい社会システムへの挑戦を行っていきたい。
また、今年は国連の定める国際協同組合年である。脱原発、再生可能エネルギーの確立などにも取り組んでいる。
ラオ・キンチー(香港・嶺南大学准教授):
中国の農村再建運動に10年以上関わっており、そのときの知見を共有したい。2000年に中国はMDGを支援すると宣言し、2009年、MDGゴール1が85%達成できた。中国の正式な貧困ラインは変更されており、世界銀行の貧困ラインと同じになってきたが、これもまた減ってきた。GDPについては18年間で422%ほど拡大したが、包摂的富という指標で見るとここでの増加はわずかに45%のみである。GDPは伸びているがゆるやかな増加でしかない。
成長と貧困を中国における文脈でみると、持続可能なものではまったくない。貧困と成長がもたらす環境破壊は、人口の多くを危険にさらすものである。科学肥料の利用を示すグラフ、天然資源を示すグラフ、汚染管理に関する投資比率を示したグラフでは、GDP成長よりも低い値を示している。淡水を得られない割合が増加し、水質汚染を示すグラフもある。1981年以降、状況は悪化しているが、2000年以降から政府が少しずつ汚染対策を導入するようになったため、状況は改善してきている。それでもまだ良いとは言えない。
北京、上海など開発が進んでいる地域は大気質が非常に悪い。世界中のゴミが中国に集まり、また、中国は世界の工場でもある。このような経済のマイナス面が中国の環境問題として表れてします。
富と貧困は何を表しているか。中国では30年間、経済へのフォーカスは常にお金であった。実際のところ、貧困をつくるのはお金であった。市場は、様々な周縁化により、資本主義的な繁栄をすることができなかった。持続可能なパラダイムは人と自然のための唯一可能な方法である。人々の参加も必要であり、農村再建運動など、自己組織された農協などの組織もある。農民に対する教育や有機農業も進めなければならない。
私は北京で小さなロバ農場をやっている。若手の参加もあり、農村再建に若手を取り入れる。コミュニティや生計に関する女性の役割の重要性は指摘しておかなければならない。
中国成長のパラダイムをみると、このようなモデルは破綻するだけである。解決になっていない。なぜなら、地域社会や暮らしを重要視していないからだ。成長を再定義し、異なった価値観を見直す必要があり、開発のパラダイムも大きく変える必要がある。これ以上、水や土地を壊すわけにはいかず、それらを守っていく必要がある。
昨日、福島県を訪れた。畜産を諦めた農家や、自宅はあるが放射線汚染で住めない人々がいた。暮らしの条件に関してお金や保障があるだけでは不十分である。人間には脆弱性があり、様々な自然への被害をあたえながら元に戻ることはできない。人々の幸せと尊厳に基づいた成長と開発を再定義する必要がある。アインシュタインは無限なものは世の中に二つしかなく、ひとつは宇宙、もうひとつは人類の愚かさであるとした。私たちはこうしたことを再び考えなければならないのではないか。
ヴィノード・ライナ(全インド民衆科学ネットワーク):
インド政府および人々が包摂的成長のために何を取り組んでいるかについて、共有する。インドではCSOは主としてMDGsの枠組みを支持してこなかった。G8サミットがGDP比の0.7%を拠出するということへの警戒や、貧困国とはそもそもどこなのかが明確ではなかったからだ。それは十分な協議をせずに決められたのである。富める国が貧困国に与え、最終的には債務になるような仕組みである。途上国は7割から8割近くを債務返済に回している。このような方式はもはやうまくいかないという証拠があり、MDGsはまさにそのひとつである。上記の0.7%という約束も実際には実行されていない。2008年の金融危機、そして今の欧州危機にも、IMFや世界銀行のような機関が支援をしている。しかし、実際には先進国もまさに金融危機の最中にある。
インドでは200万とも言われる非常に多くのNGOが存在する。8億人の農村人口を対象としており、どのように裨益できるかを検討し、政府ではなく議会が関わるような仕組みにしようとしている。それは、憲法で保障されている権利であれば政権交代しても遵守する必要があるからであり、政府ではなく議会を監視しようとしている。
食料の権利について、食料を買えない人々にどのように届けるか。働く権利を保障するMGNREGA(雇用保障制度)というプログラムを実践している。MGNREGAは、毎年100日、最低賃金で雇用が保障されている仕組みである。2005年から導入され、今は120億ドルの規模である。これをあらゆるインド人に提供することで、農村の雇用創出につながっている。都市部への人口の流出も回避できている。重要なことは、これを自治体が運用しており、政府との交渉は不要である点だ。提供している仕事は様々で農村に関連するものである。国土の3分の1を対象に灌漑をしており、4490万人に職が提供されている。重要な点として、自然にやさしい仕事を提供し、現地での雇用提供により移民問題を解決、省電力も図ることができることが挙げられる。子どもを学校に通わせることができるなど、様々な権利を保障するために法を整備することで、包摂的成長につながる。より本格的なジニ係数も減り、自然と調和した成長を送ることができる。
< 質疑応答 >
会場参加者1
GDPがある値に達すると、自動的に人々は自然に環境などに注目しはじめる。これは自然に起こることなのかどうか。
会場参加者2:
市民社会への協働を世界銀行が強く打ち出しているが、草の根の人たちは今後、世界銀行が協同を求めてきた場合、どのように対応するのか。外国のお二人にお尋ねしたい。
会場参加者3:
ヴィノードさんは科学をバックグラウンドにお持ちだそうだが、科学技術と開発は大きな貢献ができるかどうかをお聞きしたい。すばらしい社会運動が日本で展開されているようだが、これらの社会運動が組織化されることで、国際会議でより大きな発言ができるのかどうか。
会場参加者4:
これらの成果を文書化し、記録することはシステム的にどのように行うのか。人々はすぐに証拠や根拠、得られた知見を求めてくると思われるので、どのように共有するのか。
会場参加者5:
IMF・世界銀行年次総会が開かれるとき、ここ数年間、これまでの開催国では必ず大規模なデモが起こってきた。にもかかわらず、日本ではとても静かである。これはなぜなのか。市民社会が成熟したのか、体制側に組み込まれたのか、それとも市民社会の急進勢力は消滅したのか。
大崎:
どうすれば無償ケア労働を削減できるか、科学技術を使って削減をすることはとても重要であると考える。もうひとつは、ケア労働をどのように再分配するか。家の外の世界でも、コミュニティ単位、行政など公共サービスでどのように女性の負担を再配分するのか、考えるべきである。
山本:
農業は生命や生物多様性や環境、緑の問題で考えたときに、学びの場であると言える。日本の田舎はコミュニティの歴史的伝統を持っている。都市と農村の交流は単に食料だけではなく、表面的な化学や経済理念だけでもない。具体的な変革のモデルを作ることと、実際的なことをしていくためには、政府や大企業など敵と見えるところを組み込みながら、いかに共同していくべきかを考えるべきである。
キンチー:
農村とお金について、山本さんがおっしゃったことには賛成である。お金がすべての決定要素となっている中国の現状を鑑み、農村の改革に焦点を合わせている。環境に対する関心が高まっているが、その理由は状況が悪く、これ以上は持続可能ではなく、巨大なリスクを抱えて結果として貧困が再発するからだ、と考えている。2008年の金融危機以降、中国政府が農村や環境について投資するようになって以来、状況は改善しているが、まだ完全ではなく、我々は今こそ行動をする必要がある。緊急に行動をとることが必要である。文化的な価値を変える必要があると考えている。
ヴィノード:
人々はお金があれば景観や美しいものを求める。エコロジカル・フットプリントについて、60億人がひとつの地球で生活するなら、現在の状況は最適値を大幅に逸脱している。これはルールに沿っておらず、ルールに即さなければ自動的には起こらない。
ブレトンウッズ体制がなぜ確立されたかというと、欧州で世界大戦があったからである。開発は何のためにあるのか、そうした合理性を考え、対話は何のためにあるかを考える必要がある。世界銀行は今、欧州経済の救済を進めているが、そうした国際機関はそもそもそうしたことのために設立されたわけではなかったはずだ。私たちは科学を活用して、もっと違う開発をすることができる。人と地球が破壊されずに生活するための開発だ。今のパラダイムはこれに即してはいない。
文書化については、対応が重要だが分量が多すぎる。CSOでも政府の間でも、地理的にも、準備プロセスが必要である。どのような枠組みで適用可能か、現場でも見なければならない。セミナーで共有するだけというような、単に文書が回るだけでは不十分だ。
稲場:
このプレゼンテーションは何らかの形でアジェンダとして持っていく必要があると理解している。オルタナティブは個別にはあっても、新自由主義に対抗できない、ばらばらの状況である。ポストMDGsが新自由主義にからめとられないために、この作業をしなければ、結局、ポストMDGsのアジェンダを経済成長に持っていかれてしまう。包括的に解決するためには力を持ったオルタナティブが必要であり、文書化は重要な課題だと認識している。だが、一方で文書化が非常に難しいのは事実である。国際機関やコンサルティング会社は文章をいくらでも作って出すことができる。そのために雇用されている人がいるからだ。CSOは個別対応しているために、なかなか文書を出せずに分断されて、負けていく。だが、新自由主義に根拠はなく、単に仮説があり、都合の良いものを根拠にしているだけである。オルタナティブを作り出すだけの能力を市民社会はもう一度作っていく必要がある。イスタンブールでのIMF・世界銀行年次総会について、レジスタンブール(Resistanbul)という大規模なデモが起きた。日本では少ないが300人は集まった。まったくいないわかではない、ということを理解しておく必要がある。ここで議論している市民社会だけが力を取り戻せばよいわけではない。多様な市民社会が多様な声を上げていくことが必要だと私は考えている。
大橋:
私が若い頃、すでに地球資源が有限だと言われていたのに、いまだにその点が振り返られていないのが問題だと考えている。気候変動などで具体的に事象が現れ始めており、MDGsの達成期限である2015年には、環境問題など根本的に問い直さなければならない。それを具体的に示そうとしたのが今回のセッションである。生協の過剰が貧困の原因という話も興味深かったし、中国の成長の内面にこのような考え方があるということの共有、インドの政策が相乗効果を呼んだことなど、示唆に富んだ話ができた。これを記録し、みなで共有して貧困削減を進めていきたいと考えている。
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